施餓鬼供養の意味とは

施餓鬼は仏教寺院で行われる餓鬼や精霊などのための供養法会です。

亡くなった人に加持祈祷を行いながら食べ物を施すので、施食会とか大施餓鬼と呼ばれることもあります。

餓鬼とは梵語のブレータのことです。

施餓鬼法要はお盆の行事なの?

仏教の教えでは、生前に強欲で悪行をはたらいた者は、死後に餓鬼道に落ちて、常に飢えと喉の渇きに苦しむ鬼に生まれ変わると説いています。

モッガラーナの母親も餓鬼道に落ちたことで知られています。

そのためか、夏のお盆の供養と一緒に行うことが多いのですが、本来は季節とは無関係なしきたりです。

アーナンダとは

施餓鬼は、「仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつくばつえんくがきだらにきょう)」という古いインドの経典に由来しています。

8世紀に不空という僧が漢訳して、延暦25年(806)に空海が漢訳の経典を日本に伝えました。

この経典には、鬼を救うための陀羅尼が多く示されており、次のような話が出ています。

昔、ブッダの10大弟子の1人に、多聞第一といわれたアーナンダという若者がいました。

多聞第一とは、ブッダの説法を他の誰よりも多く聞いて、記憶していた高弟という意味です。

ブッダの従兄弟で、1番の側役である侍者でもあったので、何時もブッダに付き従っていました。

しかし、あるとき、アーナンダは珍しく一人で、林の中で坐禅にふけっていました。

すると突然、恐ろしい焔口餓鬼が目の前に姿を現したのです。

やせた体型で髪を振り乱し、首は針のような細さで、爪は鋭く伸びきっていました。

そして、口から火焔を吹き出し、音を立てて大きく燃え上がっていました。

焔口餓鬼は、怒りの表情でアーナンダに叫びました。

その内容は、「アーナンダが3日後に必ず死に、鬼に生まれ変わる」というものでした。

それを聞いて、アーナンダは驚いて絶句しましたが、それならどうすればいいのかと答えました。

すると焔口餓鬼は、「明日中に数え切れないほど多数の餓鬼と、百千の婆羅門という修行者たちに、それぞれ、インド・マガタ国の升1杯の食べ物を施し、私のために三宝という仏法僧を供養すれば、おまえは生きながらえることができ、私も餓鬼道を免れて、天上に転生することができるだろう」と答えました。

すると、焔口餓鬼はすぐに姿を消しました。

あまりの恐怖の恐れをなしたアーナンダは、すぐに師のブッダのところに行って、助かるための教えを請いました。

するとブッダは、「心から加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)を唱え、1椀の食べ物をそこの供えれば、たった1杯の食べ物でも、すぐに無量に飲食となり、餓鬼達の食事になるだろう」と答えました。

アーナンダは、すぐにブッダに言われた教えに従って供養し、寿命をまっとうすることができたといわれています。

実在する人物であるアーナンダは、その後もブッダに長く仕えて、ブッダの臨終にも立ち会いました。

さらに、多聞第一と称される通りの活躍をし、ブッダが亡くなった後には経典編纂に加わり、仏教の発展に多大な貢献をしました。

施餓鬼棚とは

植えた亡者の餓鬼は、地面から這い上がってくる地縛霊といわれているので、なるべく低いところに食事を供えるという習わしがあります。

実際に、千葉県の南部では、蓮の葉などにのせて庭の地面にそのまま置きます。

お盆の時期には、お仏壇とは別に1段低い棚を作り、なるべく喉ごしがよく、水分の多い食事で供養するのも施餓鬼の1つです。

佐賀県の新崎師では柿の葉などにお供えして、餓鬼の食事は手づかみなので箸は添えなかったり、兵庫県篠山(ささやま)市近辺では、餓鬼さんの喉が渇いているといいつつも、雨だれのところに糸を引くようにお茶を流すといいます。

餓鬼は地中をすみかとしているので、明るいのが苦手で光を怖がるそうです。

そのため、昔は真夜中に施餓鬼法会を行って、もともとは、施餓鬼棚や供養の場所にろうそくの明かりは付けないものでした。

その代わりに、ほおずきを灯明(とうみょう)として供え、霊界からの導きにしました。

ろうそくの代わりにほおずきを供えるのは、ほおずきが灯明の形をしていて、あまりあかるくないからです。

ほおずきを鬼灯と表記するのもこれに由来しています。