海開きと川開きはいつ?意味と由来って何?

日本の古代人は、海は海の神、川は川の神の領分だと考えていました。

海辺の砂浜や流れの穏やかな川での水泳や水浴びを楽しんでいましたが、自然の海や川では思いがけない事故に遭うことが多々ありました。

そのため、水難を恐れた古代人達は、暑くなり始めた時期に一定の期間を決めて、海や川の神を祭りました。

そして、その祭りの後で、水泳や水浴びを楽しみました。

これが海開きや川開きの起源です。

現在でも、7月1日に神職が安全祈願を行う海水浴場が数多く見られます。

その後に海の家が営業を開始し、多くの人々が夏の海に集まります。

現在では川で泳ぐ人が少なくなっていますが、7月、8月の一定の日に川開きが行われます。

江戸時代には、隅田川の川開きの日に、大がかりな花火が行われるようになりました。

これが両国の川開きといわれるものです。

それが隅田川花火大会となり、現在でも大々的に行われています。

山や海、川は、多くの人々が生活している都市や農村の外側にあり、魚介類や野菜、果物などの自然の恵みをもたらしてくれます。

そのような自然の恩恵を与えてくれる神への感謝の気持ちから、山開きや海開き、川開きの行事ができたのです。

隅田川の川開きと隅田川花火大会との関係は?

川開きは、河川の納涼の季節に、水難防止を祈願する年中行事です。

川施餓鬼(かわせがき)を行ってお祝いする地方もありますが、その中でも、享保18年5月28日に、江戸幕府の8代将軍徳川吉宗が、死者の慰霊のために隅田川で花火を打ち上げた江戸の川開きが有名です。

その時から、江戸では旧暦5月28日の川開きに、花火大会が開催されるようになったといわれています。

江戸時代の頃でも、川開きは屋形船などで納涼を楽しめる夏の風物詩として人気がありました。

浮世絵にも芸者や囃子方(はやしがた)たちがにぎやかな宴を催している様子が描かれていますが、こうした華やかさの裏で、当時の人々は実際にはどのような暮らしをしていたのでしょうか。

隅田川の川開きが始まった享保18年の1年前から、畿内を中心として全国的に大飢饉に見舞われ、江戸では特にコレラが流行し、多数の死者を出しました。

日本災異誌などの当時の資料によると、享保年間は地震が多発しており、隅田川の川開き直前にも岩手山が噴火したり、溶岩が流出するなど、火山が活発になっていました。

この時期は、江戸で疫病が流行しただけでなく、全国的に災害が多かった時期でもあり、中でも享保17年の夏は、山陽、九州、四国地方を中心に、冷夏と害虫による凶作に見舞われていました。

将軍徳川吉宗は、この享保の大飢饉を教訓に、米以外の穀物の栽培を奨励し、青木昆陽が提案したサツマイモ栽培を積極的に普及させました。

現在では、隅田川の花火大会を見る人々の中には、災害で亡くなった人々への思いを馳せる人はいないかもしれません。

しかし、隅田川の川開きが始まった頃は、華やかな花火大会の裏で、災害で亡くなった親しい家族や友人への思いがあったことでしょう。