夏越の祓はいつ?

室町時代に一条兼良が記した有職故実書の「公事根源」」には、「水無月のなごしのはらえする人は、千歳の命延ぶといふなり」という記述があります。

旧暦の6月晦日(みそか・30日)に行われる夏越の祓(なごしのはらえ)は、「水無月祓(みなづきばらい)」「名越の祓」とも呼ばれる厄災除けです。

旧暦の6月にもなると、暦の上では夏の終わりになります。

そのため、「夏越」と呼んでいます。

新暦になった現在でも、6月30日に各地の寺社で行なわれています。

茅の輪潜りをする意味と由来って何?

夏越の祓は、もともと宮中行事で国家儀礼でしたが、 1467年の応仁の乱で律令体制が崩れ、その結果、宮中では行われなくなり、民間の習俗として受け継がれました。

この祓えの作法は、茅の輪(ちのわ)を潜る(くぐる)「茅の輪潜り」と、人形(ひとがた)で体中を撫で、穢れを託して水に流すものがあります。

ちなみに、季節の夏という言葉は、この「撫づ」にも由来しています。

茅の輪潜りの作法は、寺社の境内などに茅や藁で作った大きな輪を立てて、「蘇民将来(そみんしょうらい)」などと唱えながら、 8の字を描くように3回通り抜けます。

茅の呪力を伝える人は数多く存在し、「備後国風土記」には、次のような話が記されています。

昔、蘇民将来と巨旦将来(こたんしょうらい)という2人の兄弟がいました。

あるとき、北の武塔(むとう)の神が南海の女のところへ求婚するために旅をしていました。

その途中で、日が暮れてきたので泊めてもらいたいと頼んだところ、裕福な弟の巨旦将来はそれを断りましたが、貧しい弟の蘇民将来は快く受け入れました。

その数年後に、そこへ再びやって来た武塔の神は、蘇民将来とその家族に茅の輪を腰につけさせて、疫病から身を守る方法を教えました。

そして、その夜に巨旦将来の一族を滅ぼしてしまいました。

この話から、「蘇民将来の子孫」という護符を寺社から受け取って、家の門に貼る習わしが全国に広まったといわれています。

茅の輪には、身に付けるものと潜るものの2種類ありますが、どちらも疫病除けという意味では同じです。

寺社によっては、小さな茅の輪を授与するところや、岡山県の海吉のように軒先に吊すところもあります。

また、夏越の日には、牛や馬も一緒に海や川で体を洗って邪気を払うしきたりがあります。

長崎県では、イミ、またはナゴシといって必ず仕事を1日休み、牛や馬を海で泳がせていました。

熊本県の天草諸島では、夏越の日には自由に泳いでもよいとされています。

というのも、人を襲う河童は夏越の日までは山にいるもので、海にはいないからだといいます。

しかし、夏越の日を過ぎると、雨の降る夜に叫びながら、溝川をつたって海に下りてくるといわれています。

そこで、カタバミとトビシャゴの葉を合わせて石の上で突き、その汁で爪の先を染めてから海に入ると、河童に襲われないという夏越のまじないがありました。